通院治療とホスピスの意義 ― 2011/06/21 23:56
カナッペさん、こんばんは~
ウチの父は、3年前肺がんで亡くなりました。
父の癌が発見されたのはⅢ-B期。(手術で取り除けないが、転移はしていない状態)
当初の治療方法は、抗がん剤の第1クール(2週間~1ヶ月)と放射線治療は入院でしたが、第二、第三クールは外来です。
抗がん剤の種類が変わる度に、様子を見るために入院→副作用が少なければ通院というパターンの繰り返しで、3年ほど続けていました。
MSコンチン、オプソという飲み薬とデュロテップパッチという貼り薬で痛みをコントロールしていました。
この薬があったおかげで、食事もある程度できましたし、痛くて全く寝られないということもありませんでした。
これらの薬がなければ入院治療でしょうが、やはり3年間も入院はできないですよ。
自宅にいれば好きな時間に入浴することもできます。(体を暖めると痛みが軽減されるようでした)
大好きなペット(犬)との最期の時間を過ごすこともできました。
そして、なによりも、認知症の妻(ないのうの母)の介護ができたのです。
認知症と言っても、当時、母は軽度だったので誰かが口頭でアドバイスすすれば問題が無い程度。
その母を、ないのうの仕事中に父が面倒を見ていたのです。
いわゆる「病-病」介護でした。
父が入院するときだけ、母をデイサービスに預け、ホームヘルパーを頼みました。
(このときの、入院中の父に見せるための飯日記が、Yahooブログのルーツです)
しかし、3年間抗がん剤治療を続けましたが、最後は薬の効果が期待できない一方で、副作用のほうが大きくなり、治療は終了しました。
こうなると、がん細胞は急激に増殖します。
太ったがん細胞が、背骨のあいだに入り込み、神経を切断しました。
結果、下半身不随で寝たきりです。
しかし、この病状に対する治療法はありません。機能回復しないので、リハビリもしません。
今の医療制度では、治療やリハビリを行わない患者を、総合病院等の基幹病院においてはおけません。
主治医からは、長期療養型病院への転院を勧められましたが、当時の自分はカナッペさんと同じような考えだったので、私は両親と暮らすことを選びました。
とはいうものの、実家は古い建物(基本畳部屋)で、車椅子を転がすことができないので、私のマンション(バリアフリー対応)に両親を引越しさせました。
そして、訪問医療、訪問看護、訪問介護の体制を整えました。
訪問治療の主治医は夜討ち朝駆けで観てくださって、とてもよくやってくださいましたが、引越し後1ヶ月くらいで父の痛みは強いものとなり、やがて薬が効かなくなってきます。
オキシコンチンという薬をベースにのみ、痛みが強いときにはオキノームいう顆粒を一度に15包も水にとかして飲みます。
ホスピスならばこれらの薬が常備されているのでしょうが、自宅療養では薬局で処方してもらわなければなりません。
ゴールデンウィーク前のオキノームの数、なんと1,200包。額にして10万円です。
デュロテップパッチを貼り替えるのも、家族がやります。
ある日、私が昼寝をしてしまい、起き抜けにデュロテップパッチを替えようとしたら、父が半ベソで「もう、いいよ。」と拒否しました。
「家族に迷惑をかけている」(疲れさせている)と感じたんでしょう。
「痛くなるよ」とだけ言って無理強いはしませんでしたが、わがままを言うことすら迷惑をかけている、と感じたのでしょうか。
「お願い」と一言つぶやいて貼り替えさせてくれました。
その頃には、父は「ホスピスに入りたい」と言うようになり、訪問治療の主治医もそれを勧めました。
訪問治療の医者は癌の専門医ではありませんし、緩和ケアの専門医でもないからです。
しかし、都内のホスピスはどこも満床です。
4軒の病院にエントリーしましたが、1~2ヵ月待ちとのこと。
そこを主治医がホスピスと交渉してくれ、入院できました。
多分、緊急性が高い(余命が短い)と判断し、順番待ちをすっ飛ばしてくれたのだと思います。
ホスピスでは更に強い薬を点滴注入することができました。
何ヶ月かぶりに入浴することもできました。
苦しさが増せばすぐに看護師を呼ぶことができ、家族も24時間寄り添うことができます。
一瞬のことでしたが、苦痛が軽減されました。
しかしこれもホンの一時。どのような薬を使っても苦しさが取れなくなりました。
ホスピスに入院してわずか数日、父は文具として持ち込んだカッターナイフで自ら手首を切りました。
回復の見込みがないと、自分自身で悟ったのです。
そしてそれは、「この苦しみを取ってくれ」というメッセージでした。
(死ぬ時くらい愚痴らずにスーッと逝かせてくれ!と言っても、自分では逝けないんです。)
私達家族は「二度と起きない薬」を使ってもらうよう、医師にお願いしました。
(入院時のインフォームドコンセントで、ホスピスにはそのような薬があることを告知されていた)
最期に父は、2人の孫の姿をまぶたに焼付け、深い深い眠りにつきました。
この薬が投与されると自発的に飲食ができないので、自然に心臓が停止するまで眠り続けます。
数日後、本当の永眠です。
感想として、ホスピスは緩和ケアのエキスパートでした。
患者は、喫煙もできますし、携帯電話もほぼOK。
食べたいもの、飲みたいものの持ち込みも制限はほとんどありません。
自宅に近い環境でありながら、ペインクリニックを24時間体制で受けられます。
そして、さすがに安楽死はできませんが、それに近い薬の使用も認められてるようです。
また、患者さんだけでなく、その家族への支援も経験が豊富です。
通常の病院は完全看護ですので、家族が泊まることは原則できませんが、ホスピスには家族用部屋があったりし ます。
病院といえど、治療を目的としたものでなく、QOLの向上を目的にしたのがホスピスだと思います。
父は最期にホスピスに入れて、苦しみが軽減できて本当によかったと思っています。
価格.comから骨髄移植財団へのクリック募金1,302円
ウチの父は、3年前肺がんで亡くなりました。
父の癌が発見されたのはⅢ-B期。(手術で取り除けないが、転移はしていない状態)
当初の治療方法は、抗がん剤の第1クール(2週間~1ヶ月)と放射線治療は入院でしたが、第二、第三クールは外来です。
抗がん剤の種類が変わる度に、様子を見るために入院→副作用が少なければ通院というパターンの繰り返しで、3年ほど続けていました。
MSコンチン、オプソという飲み薬とデュロテップパッチという貼り薬で痛みをコントロールしていました。
この薬があったおかげで、食事もある程度できましたし、痛くて全く寝られないということもありませんでした。
これらの薬がなければ入院治療でしょうが、やはり3年間も入院はできないですよ。
自宅にいれば好きな時間に入浴することもできます。(体を暖めると痛みが軽減されるようでした)
大好きなペット(犬)との最期の時間を過ごすこともできました。
そして、なによりも、認知症の妻(ないのうの母)の介護ができたのです。
認知症と言っても、当時、母は軽度だったので誰かが口頭でアドバイスすすれば問題が無い程度。
その母を、ないのうの仕事中に父が面倒を見ていたのです。
いわゆる「病-病」介護でした。
父が入院するときだけ、母をデイサービスに預け、ホームヘルパーを頼みました。
(このときの、入院中の父に見せるための飯日記が、Yahooブログのルーツです)
しかし、3年間抗がん剤治療を続けましたが、最後は薬の効果が期待できない一方で、副作用のほうが大きくなり、治療は終了しました。
こうなると、がん細胞は急激に増殖します。
太ったがん細胞が、背骨のあいだに入り込み、神経を切断しました。
結果、下半身不随で寝たきりです。
しかし、この病状に対する治療法はありません。機能回復しないので、リハビリもしません。
今の医療制度では、治療やリハビリを行わない患者を、総合病院等の基幹病院においてはおけません。
主治医からは、長期療養型病院への転院を勧められましたが、当時の自分はカナッペさんと同じような考えだったので、私は両親と暮らすことを選びました。
とはいうものの、実家は古い建物(基本畳部屋)で、車椅子を転がすことができないので、私のマンション(バリアフリー対応)に両親を引越しさせました。
そして、訪問医療、訪問看護、訪問介護の体制を整えました。
訪問治療の主治医は夜討ち朝駆けで観てくださって、とてもよくやってくださいましたが、引越し後1ヶ月くらいで父の痛みは強いものとなり、やがて薬が効かなくなってきます。
オキシコンチンという薬をベースにのみ、痛みが強いときにはオキノームいう顆粒を一度に15包も水にとかして飲みます。
ホスピスならばこれらの薬が常備されているのでしょうが、自宅療養では薬局で処方してもらわなければなりません。
ゴールデンウィーク前のオキノームの数、なんと1,200包。額にして10万円です。
デュロテップパッチを貼り替えるのも、家族がやります。
ある日、私が昼寝をしてしまい、起き抜けにデュロテップパッチを替えようとしたら、父が半ベソで「もう、いいよ。」と拒否しました。
「家族に迷惑をかけている」(疲れさせている)と感じたんでしょう。
「痛くなるよ」とだけ言って無理強いはしませんでしたが、わがままを言うことすら迷惑をかけている、と感じたのでしょうか。
「お願い」と一言つぶやいて貼り替えさせてくれました。
その頃には、父は「ホスピスに入りたい」と言うようになり、訪問治療の主治医もそれを勧めました。
訪問治療の医者は癌の専門医ではありませんし、緩和ケアの専門医でもないからです。
しかし、都内のホスピスはどこも満床です。
4軒の病院にエントリーしましたが、1~2ヵ月待ちとのこと。
そこを主治医がホスピスと交渉してくれ、入院できました。
多分、緊急性が高い(余命が短い)と判断し、順番待ちをすっ飛ばしてくれたのだと思います。
ホスピスでは更に強い薬を点滴注入することができました。
何ヶ月かぶりに入浴することもできました。
苦しさが増せばすぐに看護師を呼ぶことができ、家族も24時間寄り添うことができます。
一瞬のことでしたが、苦痛が軽減されました。
しかしこれもホンの一時。どのような薬を使っても苦しさが取れなくなりました。
ホスピスに入院してわずか数日、父は文具として持ち込んだカッターナイフで自ら手首を切りました。
回復の見込みがないと、自分自身で悟ったのです。
そしてそれは、「この苦しみを取ってくれ」というメッセージでした。
(死ぬ時くらい愚痴らずにスーッと逝かせてくれ!と言っても、自分では逝けないんです。)
私達家族は「二度と起きない薬」を使ってもらうよう、医師にお願いしました。
(入院時のインフォームドコンセントで、ホスピスにはそのような薬があることを告知されていた)
最期に父は、2人の孫の姿をまぶたに焼付け、深い深い眠りにつきました。
この薬が投与されると自発的に飲食ができないので、自然に心臓が停止するまで眠り続けます。
数日後、本当の永眠です。
感想として、ホスピスは緩和ケアのエキスパートでした。
患者は、喫煙もできますし、携帯電話もほぼOK。
食べたいもの、飲みたいものの持ち込みも制限はほとんどありません。
自宅に近い環境でありながら、ペインクリニックを24時間体制で受けられます。
そして、さすがに安楽死はできませんが、それに近い薬の使用も認められてるようです。
また、患者さんだけでなく、その家族への支援も経験が豊富です。
通常の病院は完全看護ですので、家族が泊まることは原則できませんが、ホスピスには家族用部屋があったりし ます。
病院といえど、治療を目的としたものでなく、QOLの向上を目的にしたのがホスピスだと思います。
父は最期にホスピスに入れて、苦しみが軽減できて本当によかったと思っています。
価格.comから骨髄移植財団へのクリック募金1,302円
smileCLOVERから骨髄移植財団へのクリック募金 104円
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